短文
(1) 以下は、取引先の会社の人から届いたEメールである。
【担当者変更のお知らせ】
  株式会社ABC
  佐藤樣

  いつもお世話になっております。
  株式会社さくらの鈴木です。

  この度、弊社の人事異動に伴い、4月1日より営業部小林が貴社を担当させていただくことになりました。在任中、佐藤様には大変お世話になり、感謝しております。
 小林は入社10年のベテラン社員で、長らく営業業務に携わってまいりました。
 今後も変わらぬご指導のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。
 
 後日改めまして、小林と共にご挨拶に伺う所存ではございますが、取り急ぎメールにてご連絡申し上げます。
 上記につきまして、どうぞよろしくお願いいたします。

(46)このメールで最も伝えたいことは何か。

短文
(2)
 私はパソコンもスマートフォンも持っていないが、ネット上には、作家やその作品に対する全否定、罵倒(注)が溢れているらしい。プリントアウトしたものを私も見せてもらったことがある。やはり編集者が気を遣ってかなりましな感想を選んでくれたのだろうが、それでもそうとうなもので、最後まで読む勇気が自分にあったのは①驚きだった
(注):相手を大声で非難すること

(田中慎弥『ひよこ太陽』新潮社による)

(47)①驚きだったのはなぜか。

短文
(3)
 私は一見社交的に見えるようだが、初対面の人と話すのは苦手だ。(中略)という話を、先頃、あるサラリーマンにした。
 彼は小さな広告代理店の営業担当役員である。新しい人と知り合うのが仕事のような職種だ。
 彼曰く、話題につまった時は、ゴルフか病気の話をすれば何とかなるそうだ。四十も過ぎれば、体の不調は誰でも抱えている。自分自身は元気でも、親はある程度の年齢だから、病気に関わる心配事を抱えていない大人はいない。なるほどである。

(大石静『日本のイキ』幻冬舎による)

(48)筆者がなるほどであると感じたことは何か。

短文
(4)
 強いとか弱いとかいうのとはちょっと別に、その選手に異様な熱を感じる時期というのがあって、世界戦やタイトルマッチじゃなくても、その熱は会場中に伝播する。その熱の渦中にいると「ボクシングってこんなにすごいのか!」と素直に納得する。たったひとりの人間が発する熱が源なのだから。それはもしかしたら、その選手の旬というものなのかもしれない。年齢とは関係ない。また、旬の長さも一定ではないし、一度きりということでもないのだろう。だけれど、永遠ではない。

(角田光代 『ボクシング日和』 角川春樹事務所による)

(49)選手の旬について、筆者の考えに合うのはどれか。

中文
(1)
 落語の世界では、マクラというものがあり、長い噺(注1)を本格的に語る前にちょっとした小咄(注2)とか、最近あった自分の身の回りの面白い話などをする。(中略)
 落語家はマクラを振ることによって何をしているかといえば、観客の気持ちをほぐすだけではなくて、今日の客はどういうレベルなのか、どういうことが好きなのか、というのを感じとるといっている。
 たとえば、これぐらいのクスグリ (面白い話)で受けないとしたら、「今日の客は粋じゃない」とはなし 「団体客かな」などと、いろいろ見抜く。そして客のタイプに合わせた噺にもっていく。これはプロの熟達した技だ。
 それと似たようなことが授業にもある。先生の立場からすると、自分の話がわかったときや知っているときは、生徒にうなずいたりして反応してほしいものだ。そのうなずく仕草によって、先生は安心して次の言葉を話すことができる。反応によっては発問を変えたり予定を変更したりすることが必要だ。
 逆の場合についても、そのことはいえる。たとえば子どもが教壇に一人で立って、プレゼンテーションをやったとする。そのときも教師の励ましが必要なのだ。アイコンタクトをし、うなずきで励ますということだ。先生と生徒が反応し合うことで、密度は高まり、場の空気は生き生きしてくる。
(齋藤孝『教育力』岩波書店による)
(注1) 噺 : 昔話や落語
(注2) 小咄: 短くおもしろい話

(50)落語家について、筆者はどのように述べているか。

(51)それと似たようなことが授業にもあるとあるが、どういう意味か。

(52)筆者によると、授業に必要なこととは何か。

中文
(2)
 ペットショップで目が合って何か運命的なものを感じてしまい、家へ連れて帰ってきたシマリスのシマ君が、今朝、突然、攻撃的になってしまった。
 これまで、手のひらに入れてぐるぐるお団子にしたり、指を口の前に差し出しても一度も咬んだり人を攻撃したことがないのに、いきなり咬みつかれた。かごの中の餌からゴミを取ろうとしてふと指を入れたら、がぶっとやられたのである。
(中略)
「①タイガー化する」といって、冬眠に入る秋冬になるとものすごく攻撃的になるという。そんなことは知らなかった。あんなにひとなつこくて誰にでも甘えてくるリスが、目を三角にして(注1)ゲージ(注2)にバンバン体当たりしてくる。同じ動物とは思えない。怖い。
 獣医師によると、冬眠する前に体内にある物質が分泌されるらしい、という説や、冬眠前になるべく餌をたくさん食べて体脂肪を蓄えるためになわばり意識が強まる、という二つの説があるそうだが、医学的にはっきり解明されていない。
 その上、何と「春になると元のひとなつこい状態に戻る子もいるし、そのままの凶暴状態が続く子もいます」というのである。
 もう戻らないかもしれないなんて、②本当に悲しい。あんなに可愛かったうちのシマ君が、突然、野獣に変ってしまった。
(柿川鮎子『まふまふのとりこ - 動物をめぐる、めくるめく世界へー』三松株式会社出版事業部による)
(注1) 目を三角にする:怒って、怖い目つきをする
(注2) ゲージ: 動物を閉じ込めておく檻やかご

(53)シマ君の以前の様子について、筆者はどのように述べているか。

(54)①タイガー化するについて、筆者はどのように述べているか。

(55)筆者がシマ君について②本当に悲しいと思っているのはなぜか。

中文
(3)
 かつての教員養成はきわめてすぐれていた。ことに小学校教員を育てた師範学校(注1)は、いまで は夢のような、ていねいな教育をしたものである。
(中略)
 その師範学校の教員養成で、ひとつ大きな忘れものがあった。外国の教員養成に見倣った(注2)ものだから、罪はそちらのほうにあるといってよい。
 何かというと、声を出すことを忘れていたのである。読み、書き中心はいいが、声を出すことをバカにしたわけではないが、声の出し方を知らない教師ばかりになった。
(中略)
 新卒の先生が赴任する。小学校は全科担任制だが、朝から午後までしゃべりづめである。声の出し方の訓練を受けたことのない人が、そんな乱暴なことをすれば、タダではすまない。
 早い人は秋口に、体調を崩す。戦前の国民病、結核(注3)にやられる。運がわるいと年明けとともに発病、さらに不幸な人は春を待たずに亡くなる、という例がけっして少なくなかった。
 もちろん、みんなが首をかしげた。大した重労働でもない先生たちが肺病で亡くなるなんて信じがたい。日本中でそう思った。
知恵(?)のある人が解説した。先生たちは白墨(注4)で板書をする。その粉が病気を起こすというのである。この珍説、またたくまに、ひろがり、日本中で信じるようになった。神経質な先生は、ハンカチで口をおおい、粉を吸わないようにした。それでも先生たちの発病はすこしもへらなかった
大声を出したのが過労であったということは、とうとうわからずじまいだったらしい。

(外山滋比古『100年人生 七転び八転び - 「知的試行錯誤」のすすめ』 さくら舎による)


(注1)師範学校:小学校教員を養成した旧制の学校
(注2) 見倣う : 見てまねをする
(注3) 結核: 結核菌を吸い込むことによって起こる感染症
(注4) 百墨: チョーク

(56)昔の教員養成について、筆者はどのように述べているか。

(57)新卒の先生について、筆者はどのように述べているか。

(58)それでも先生たちの発病はすこしもへらなかったとあるが、なぜか。

長文
 住まいの中の君の居場所はどこか?」と問われて「自分の部屋」と、自覚的に答えられるのは、五、六歳になってからでしょうか。
 しかしその時期をすぎても、実際には自室をもっている子でさえ、宿題はダイニングテーブルやリビングでやるという場合が、とても多いとききます。玩具やゲーム機で遊ぶのもリビングで、けっきょく自室に入るのは眠るときだけ。こんな子が少なくありません。
 その理由の一つは子供も親も、家にいる時間がどんどんへっていることにあります。今、共働きの世帯は専業主婦世帯のほぼ二倍にあたる約1100万世帯で、これからも増加するとみられています。しかも労働時間はいっこうにへらず長いまま。親が家にいない時間が長くなるにつれて、子供もやはり家にいない時間が増えていきました。起きている時間のうちの大半を、自宅ではなく保育園などで過ごす子も多い。こんな状況ですから、親子のふれあう時間そのものが少ないのです。
 ①こうしたなかで、親子のコミュニケーション、ふれあいの機会を空間的にどうにか捻出しようという働きかけが、ハウスメーカー(注1)から出ています。
 たとえば三井ホームは「学寝分離」、ミサワホームは「寝学分離」をテーマにした住まいを広めようとしています。
 「寝」というのは睡眠の場所、「学」というのは遊びを含む学びの場所のことです。これを分離するというのはどういうことでしょうか。
 「家族のコミュニケーションを高めるために、子供室はあくまで“寝る部屋”と位置づけ、“学ぶ部屋”“くつろげる場所”を共有空間などの別の場所に設けるという考え方」(三井ホーム・シュシ그)
 これまでの子供部屋はしっかり集中して勉強ができる空間、ゆっくりと安眠できる空間、また読書や音楽鑑賞といった個人の趣味や息抜きをする空間として考えられていました。いわばそこは子供にとってのオールマイティ(注2)な場所でした。
 しかし、それでは親と子供がふれあう時間がなくなる。そこで、②子供部屋がほんらい発揮すべき役割を、家の中の他の場所にもつくって、そこをコミュニケーションの場としても活用しようというわけです。

(藤原智美『集中力・思考力は個室でこそ磨かれる なぜ、「子供部屋」をつくるのか』 廣済堂出版による)


(注1) ハウスメーカー: 家づくりのサービスを行っている会社
(注2) オールマイティ: 何でも完全にできること

(59)子供と部屋の関係について、筆者はどのように述べているか。

(60)①こうしたなかでとあるが、どのようなことか。

(61)「学寝分離」、「寝学分離」の意味として正しいのはどれか。

(62)②子供部屋がほんらい発揮すべき役割について、筆者はどのように述べているか。

統合理解
A
 私は幼稚園の運動会での写真撮影禁止に賛成です。写真には、子供も先生も他の親たちもみんな写ってしまうのです。それが嫌な人もいるわけですよ。それに、写真に残さないといけないという脅迫観念の中で生きている人が多いのですが、撮って満足しているだけじゃないんですか。撮影のための場所取りに必死になって、他の人の邪魔になったり、運動会を見に来ているのか撮影だけに来ているのか、わからなくなったりしている人が多いです。幼稚園側も、肉眼でしっかり子供を見て、成長を目に焼き付けてもらいたいんじゃないでしょうか。私は写真撮影しても、後日見返したことがないです。実際の目で見たほうが、終わってからの満足感を得られると思います。
B
 運動会の写真撮影を禁止する幼稚園があるそうですが、それは仕方のないことだと思います。最近はモラル(注)のない親が多いので、撮影の場所取りなどで保護者同士のトラブルになったら、幼稚園にクレームが殺到しますよね。幼稚園側からすれば、そのようなクレームに対応できないというのが本音でしょう。また、保護者の方たちは、撮影していると自分の子供ばかりに目が行きがちですが、幼稚園側としては、先生方の声かけや他の子供たちとのかかわり方などにも目を向けてもらいたいのではないでしょうか。それと、親が撮影に熱心になりすぎて、拍手や声援がまばらになるので、子供たちのやる気に影響してしまうのではないかと思います。子供と目を合わせて、見てるよ、応援してるよ、とアイコンタクトする。そういった温かいやり取りが忘れられているように思います。
(注) モラル: いいことと悪いことや正しいことと正しくないことを見極めるための普遍的な行動基準

(63)幼稚園での運動会の写真撮影について、AとBはどのように述べているか。

(64)幼稚園側の意見について、AとBはどのように推測しているか。

主張理解
 少子化と、超高齢化で、将来的に労働力が不足し、生産力が激減するということで、移民(注1)の受け入れと並んで、高齢者の雇用延長、再雇用が奨励されるようになった。定年(注2)も1970年代には55歳だったものが、その後60歳、さらに、改正高年齢者雇用安定法により、65歳までの雇用確保が定着しつつある。(中略)
 アメリカのように定年制がない国もあるが、日本の定年がどうやって決められているのか、わたしにはよくわからない。おそらく平均寿命から算出されているのかも知れない。長く続いた「55歳定年制」だが、日本人の平均寿命が40歳代前半だった二十世紀初頭に、日本郵船が設けた社員休職規則が起源という説が有力だ。今や、平均寿命は80歳を超えているわけだから、65歳まではもちろん、ひょっとしたら70歳、いや75歳までは働けるのではないか、といったムードがあるように思う。そしてメディアは、「いくつになっても働きたい、現役でいたい」という人々を好んで取り上げる。働いてこそ幸福、という世論が醸成(注3)されつつある感じもする。
 だが、果たして、①歳を取っても働くべきという考え方は正しいのだろうか。「村上さんは会社勤めじゃないから定年なんかなくていいですね」と言われることがあり、「まあ、そうですけどね」とあいまい か曖昧に対応するが、内心「ほっといてくれ」と思う。
 パワーが落ちてきたのを実感し、「もう働きたくない」という人だって大勢いるに違いない。「ゆっくり、のんびりしたい」と思っていて、経済的余裕があれば、無理して働く必要はないと個人的にはそう思う。さらに②不可解なのは、冒険的な行為に挑む年寄りを称賛する傾向だ。歳を取ったら無理をしてはいけないという常識は間違っていない。冒険なんかされると、元気づけられるどころか、あの人に比べると自分はダメなのではないかと、気分が沈む。勘違いしないで欲しいが、年寄りは冒険をするなと言っているわけではない。冒険するのも、自重するのも、個人の自由であって、一方を賛美すべきではないということだ。
 わたしは、60歳を過ぎた今でも小説を書いていることに対し、別に何とも思わない。伝えたいことがあり、物語を構成していく知力がとりあえずまだ残っていて、かつ経済面でも効率的なので、書いているだけで、幸福だとか、恵まれているとか、まったく思ったことはない。「避ける」「逃げる」「休む」「サボる」そういった行為が全否定されているような社会は、息苦しい。

(村上龍『おしゃれと無縁に生きる』幻冬舎による)


(注1) 移民: 外国に移り住む人
(注2) 定年: 会社などで退職するように決められた年齢
(注3) 醸成される: 次第に作り上げられる
(注4) ほっといて: ほうっておいて

(65)筆者によると、日本の定年制に対する世間の意見はどのようなものか。

(66)①歳を取っても働くべきという考え方について、筆者はどのように考えているか。

(67)筆者が②不可解だと感じているのはどのようなことか。

(68)筆者が最も伝えたいことは何か。

情報検索

(69)8月10日に田中さん夫婦は特急列車に乗って温泉ホテルに泊まりに行く予定だが、なるべく安く泊まりたい。田中さんは55歳、田中さんの奥さんは48歳。温泉ホテルまでの特急列車の通常の値段は一人片道3000円である。どのプランが一番安いか。

(70)8月25日に山本さん家族は4人(大人2人、中学生1人、小学生1人)で光の館に泊まりたい。山本さんは43歳、山本さんの奥さんは40歳。温泉ホテルまでは車で行く予定である。いくらになるか。