(1)
占いは若いころだけではなく、歳をとっても気になるものだ。二十代のころは、占いのページを見ているととても楽しかった。特に恋愛運はむさぼる
(注1)ように読み、
「あなたを密かに想っている男性がそばにいます」
などと書いてあったなら、
「うふふ、誰かしら。あの人かしら、この人かしら。まさか彼では………………」
と憎からず
(注2)思っている男性の顔を思い浮かべ、けけけと笑っていた。それと同時に嫌いな男性を思い出しては、まさかあいつではあるまいなと、気分がちょっと暗くなったりもした。今から思えば、あまりに間抜けで恥ずかしい。
「アホか、あんたは」
との①
過去の自分に対してあきれるばかりだ。
アホな二十代から三十有余年、五十代の半ばを過ぎると、恋愛運などまったく興味がなくなり、健康でいられるかとか、周囲に不幸は起きないかとか、現実的な問題ばかりが気になる。
(中略) 占いを見ながら、胸がわくわくする感覚はなくなった。とはいえ、雑誌などで、占いのページを目にすると、やはりどんなことが書いてあるのかと、気になって見てしまうのだ。
先日、手にした雑誌の占いのページには、今年一年のラッキーアイテムが書いてあった。他の生まれ月の欄を見ると、レースのハンカチ、黄色の革財布、文庫本といった、いかにもラッキーアイテムにふさわしいものが挙げられている。それを持っていれば、幸運を呼び込めるというわけだ。
「いったい私は何かしら」
と久しぶりにわくわくしながら、自分の生まれ月を見てみたら、なんとそこには「太鼓のバチ
(注3)」と書いてあるではないか。
「えっ、太鼓のバチ?」
雑誌を手にしたまま、②
呆然としてしまった。
レースのハンカチ、財布、文庫本ならば、いつもバッグに入れて携帯できるが、だいたい太鼓のバチはバッグに入るのか? どこで売っているのかも分からないし、万が一、入手してバッグに入れていたとしても、緊急事態で荷物検査をされた際に、バッグからそんなものがでてきたら、いちばんに怪しまれるではないか。
友だちと会ったときに、これが私のラッキーアイテムと、バッグから太鼓のバチ
(注4)を出して、笑いをとりたい気もするが、苦笑されるのがオチであろう。その結果、今年の私はラッキーアイテムなしではあるが、そんなものがなくても、無事に暮らしていけるわいと、鼻息を荒くしているのである。
(群ようこ『まあまあの日々』 KADOKAWAによる)
(注1) むさぼる:満足することなく欲しがること
(注2) 憎からず: 憎くない。好きである
(注3) バチ: 太鼓をたたくための棒状の道具
(注4) オチ: 笑い話など物語の結末