短文
(1)
 どんな社会にも、「情報通」と呼ばれる人がいます。
 「物知り (注)」とは違います。 多くの場合は、 「情報に通じた人」 つまり、どこにいけば情報があるのかを知っている人を指します。
 どんなに知識の豊かな人でも、知っている分野や程度にはかぎりがあります。 けれども、ある分野については、人並み以上によく知っている人は少なくありません。
「この問題については、○○さんが詳しい」
「この問題なら、 ○○さんに聞けばわかる」
そうした引き出しを、人並み以上にもっている人が 「情報通」なのです。
(注) 物知り: 物事を広くよく知っている人。

(45)筆者によると、 「情報通」 とはどのような人か。

短文
(2)
人間の感覚がいかにあてにならないものかを示す有名な実験があります。
まず、三つの容器に冷たい水とぬるま湯、それに熱いお湯を用意します。 はじめに右手を冷たい水に、左手を熱いお湯に、同時につけます。 しばらくつけたら、今度は両手を同時にぬるま湯につけてみます。
すると、冷たい水に慣れた右手は温かいと感じ、熱いお湯に慣れた左手は同じぬるま湯を冷たいと感じるでしょう。 人間の感覚は同じ身体の一部でさえも、ちがう意味を受け取ってしまうのです。

(46)手の感覚について、 実験からどのようなことが分かったか。

短文
(3)
 自動車が自動的に運転されることになれば、それは完全に単なる移動手段となり、運転することの娯楽性は存在しなくなる。人間が自分で自動車を運転する楽しさというものは、安全や利便性(注1)とのトレードオフ(注2)として、なくなってしかるべきものなのだろうか。人間を害するリスクのある非合理な娯楽性は、自動運転車とともになくなってしまえばいいと割り切ってしまう前に、安全性と娯楽性が両立する解はあると信じたい。
(注1)利便性:便利さ
(注2)~とのトレードオフとして:ここでは、~を得るかわりに

(47)自動運転車の登場について、筆者はどのように考えているか。

短文

(48)筆者は、翻訳のどのような点が音楽の演奏と似ていると述べているか。

中文
(1)
 育児と言えば、たいていは母親によってなされると思われています。(中略)
 ところがライオンはちょっと違います。同じ群れのライオンは、そろって出産する傾向があり、育児も群れの雌 全員が協力して行うのです。赤ちゃんは生まれて一か月あまりは物陰に隠され、母親だけで育てられます。しかし、歩けるようになると、群れに連れてこられて共同生活が始まります。
 ライオンの群れには複数の大人の雌がいますから、それらの子どもたちが集まって、大所帯となります。集められた子どもたちは、自分の母親以外のライオンの乳も飲むことができ、群れの全員の保護を受けることができます。捕食獣(注11)であるライオンは、子育て中も獲物狩りに出かけなければなりません。母親一頭で子育てをしている場合には、外出中に、ハイエナ(注2)などに子どもが捕食される危険があります。しかし、共同育児をして誰かが子とものそばに残っていれば安心です。
 若い雌ライオンは敏捷(注3)ですが、子育ての経験に乏しく、失敗することもよくあります。それに比べ、壮年期になったライオンは経験豊富で態度もどっしりとして子育ても上手です。長の雌がまとめて面倒を見た方が育児はうまくいくかもしれません。反面、若いライオンの敏捷性は狩りでは有利に働くでしょう。ライオンは狩りも共同で行い、獲物はみんなで食べますから年老いて狩りに参加できなくても、食事をとることができるのです。
 ライオンたちは、明確な分業とまではいえなくても、うまく育児と狩りを全員が協力することで、問題を解決しています。

(49)ライオンの子育てについて、筆者はどのように述べているか。

(50)共同生活の利点について、筆者はどのように述べているか

中文
(2)
 仕事柄(注1)、私は取材を受けることが多いが、あるとき取材をしている人から、話すのが苦手だと打ち明けられたことがある。取材中は自然な感じで会話が進んでいたこともあって少し驚いたが、そう言われてみるとたしかに少し緊張しているように見えなくもない。ただ、取材を受けている私の立場からすると、必ずしも悪い印象は受けなかった。
 むしろ緊張感が相手に対する配慮のように感じられて、良い感じで話をすることができた。私たちは、あることが苦手だと思うと、うまくできていないように思える面に目を向けてしまう。 スムーズに言葉が出てこなかったことや、話が行きつ戻りつしてしまったことなどが気になって、自分を責める気持ちになる。
 しかし、スムーズに言葉が出なかったことで、会話にため(注2)が出てきていることもある。相手は、その時間的すきまの時に、考えをまとめたり、振り返りをしたりできたりする。トントン拍子に(注3)会話が進まないことで、話している内容を多面的に考えることができたりもする。
 思うように会話できないときは、失敗ではなく、話を深めるように無意識に心が手助けしているようにも思える。 (中略) 失敗のように思えることには、それなりに意味があるのだろう。
 欠点のように思えることも、見方を変えるとじつは長所だということが少なくない。 自分に対して多面的な見方ができると、 気持ちが楽になるし、 本来の力を発揮できるようになる。
(注1)仕事柄: 仕 事の性質上
(注2)ため:ここでは、余裕の時間
(注3) トントン拍子に: 順調に

(51)取材をしている人からうまく言葉が出てこないことについて、筆者はどのように考えているか。

(52)筆者の考えに合うのはどれか。

中文
(3)以下は、商品パッケージのデザイナーが書いた文章である。
 大量生産品のように全国に流通し、 多くの方々にご利用いただく商品の場合には、必ずマーケティング調査 (注1) が行われます。 とくにパッケージのリニューアル時には、従来よりも売り上げを落ちてしまっては大変なので、より慎重に行われます。
 ただそういう場合、必ず「今までの方が良かった」という意見が過半を占めます。ですがメーカーにとっては、定番となっている商品をどうしてもリニューアル (注2)しなければならないタイミングが必ずやってきます。 それは、競合他社が売り上げを伸ばしたり、技術開発に伴い商品そのものが改善されたり、いろいろな理由でそれは必ずやってくる。 ところがマーケティング調査してみると 「変えない方がいい」という結果が出てしまう。 今までのファンはその商品に愛着をもっているわけですから、リニューアルに大賛成してくれるわけがないのです。 ですが、どうしても新しくしなければならない。
 私はこういった時、これまでの財産をうまく生かして、今までのファンがある程度を許容してくれれば、それは大成功だと考えています。 最初は少し許せない部分があったとしても、 これが一年、二年経つと、新しいデザインも見慣れてくる。 したがってマーケティング調査の数字は、そういう時間軸も考えたうえで見る必要があります。
(注1) マーケティング調査: 市場調査
(注2) リニューアル: ここでは、 更新

(53)こういった時とは、どのような時か。

(54)マーケティング調査の結果について、筆者はどのように考えているか。

中文
(4)
 群馬県の上野村で暮らすようになって覚えたもののひとつに「待つ」という感覚がある。
たとえばこの村の農業は春を待たなければはじまらない。山菜も、茸も、それが出てくる時期を待たなければけっして手には入らない。 木材として利用するのなら、 木を切るのは、 森の木々が活動を低下させる秋から冬がくるのを待つ必要がある。実に多くのことが、村では「待つ」ことからはじまっていく
 それが、自然とともに働き、暮らすということなのであろう。自然の力を借りようとすれば、自然がつくる、それに適したときがくるのを待たなければならない。といってもそれは、のんびりした暮らし方とばかりもいえないのである。 なぜなら、ときを待つ以上、 逆にそのときを逃してしまったらうまくいかなくなる。田植えのとき、草取りのとき、稲刈りのとき・・・。 村の暮らしには、逃がしてはいけないときがたえずやってくる。
 ときを待つ暮らしにとっては、 人間の意志は万能ではない。 それよりも自然という他者の動きの方が重要で、人間の意志は、 自然の動きをうまく活用する範囲内でしか有効ではない。 だから、自然と結ばれ、ときを待ちながら働き暮らしてきた村の人たちは、人間関係のなかでも同じような感覚を育んだ。人間関係においても自分の一方的な意志は万能ではない。人々の動きを理解しながら、ちょうどよいタイミングがくるのを待って、 そのときを逃さずに働きかけていく。 それが村の人たちの人間関係のつくり方だった。自然との関係のなかで学んだことが人間同士の関係のなかでもいかされていたのである。

(内山節 『戦争という仕事』による)

(55)「待つ」ことからはじまっていくとあるが、 何を待つのか。

(56)筆者によると、村の人たちの人間関係はどのようにつくられたか。

長文
(1)
 教育を仕事にしていると、面白いことがたくさんある。その中の一つに、「未熟さの効用」とでも 言うべき現象がある。 知識や教育技術がたとえ未熟であったとしても、不思議と初めて受け持っ た授業が生徒との間に一番濃い縁を結ぶことがよくある。
 通常の仕事は、経験を積み、技術が上がるほど、質が良くなる。教育の世界でも、もちろん経験知は有効に働く。 ベテランの安定感は、たしかに大切だ。しかし、教育の場合は、若く未熟であ ることがむしろプラスに働くケースがよくあるのも事実だ。 初年度に受け持った学生たちのことが鮮明に記憶に残り、その後のつき合いも深い、という経験が私にもある。
 これはどういうことだろうか。 まず考えられるのは、初年度の緊張感が、学生たちに新鮮な印象 を与えたということだ。慣れてくると手際が良くなる。すると、学生たちは、 安心する一方で油断が 出る。 レストランで手際のいいコックに料理を出してもらうような気分で、授業を受け始めてしまう のだ。授業を上手にサービスする側と、サービスされる側に、立場がはっきり分かれてしまう。先 生はいかにも先生らしく、生徒はいかにも生徒らしい。
 こうした関係は、安定はしているが、 ときに新鮮さに欠ける。 これに対して、初年度の教師が持つ緊張感は、生徒にも伝染する。その緊張感の共有が、一つの同じ場を作り上げているのだという意識を生みだす。参加し作り上げる感覚が、生徒の方にも生まれる。それが思い出の濃さにもつながる。
 ここで初年度というのは、教師になって初めての年度というだけではない。学校を替わって、教師が新たな気持ちで臨むときも新鮮さが出る。 あるいは新しい教科を担当し、一生懸命勉強して多少の不安を持ちながらも勢いをつけて切り抜けていくときにも、印象深い授業ができやすい。 ただ単に未熟であることがいいわけではもちろんない。 自分が未熟であることを自覚し、その 分精一杯準備し、情熱を持って語りかけるときに、未熟さがプラスに転じるのだ。
 教育において「新鮮さ」は決定的な重要性を持っている。いわゆる「教師臭さ」 は、学ぶ側の 構えを鈍くさせてしまう。 型どおりの教え方が染みついてしまっている、という印象を与えてしまうだけで大きなマイナスになるのだ。「決まり切った感じ」を印象として与えないようにすることが大 切である。 経験知を重ねる良さを残したまま、新鮮さを失わない。これは、もはや一つの技である。 「先生も自分たちと一緒に変化してくれるのだ」 という意識が学ぶ側に生まれると、場を一緒に盛り上げる機運が高まる。

(57)筆者によると、 教育の仕事は通常の仕事とどのような点で異なるか。

(58)筆者によると、 初年度の教師の緊張感は学生たちにどのように影響するか。

(59)筆者によると、教育を仕事にしている人間にとって大切なことは何か。

統合理解
A
 「指示されないと自分から動かない」「指示されたことしかやらない」、いわゆる指示待ちになっているといわれる部下や後輩がいる。指示待ちになるのは、仕事に関する知識や経験が不足し ていたり仕事に対してやる気がなかったりすることなどが原因だといわれている。しかし実は、そもそも上司からの指示に従うことが自分の役目だと考え、それ以上のことをする必要性を感じていないという場合が多いのだ。
そのような部下には、何のためのこの仕事を行い、業務全体の中でほかの仕事とどうかかわっているのかを教えることが重要だ。仕事の全体像がイメージできれば、部下は次にやるべきこ とや工夫できそうな点が分かってくる。その結果、自分に求められていることに気づき、自主的に 行動できるようになっていくだろう。

B
 部下や後輩が指示待ちであるのを簡単に部下自身の責任と決めつけるのは、問題があります。指示待ちになっている理由が何かあるのかもしれません。
 まず部下自身が自主的に動くことの重要性を認識していないケースがあります。「言われた通 りにするのが部下の仕事だ」と思いこんでいて、むしろ「どうしましょう」 と相談することこそが部 下の務めだと信じているケースです。この場合は、どんな仕事もすべてマニュアルで示すことはできず、個人の判断や工夫がいることを伝えることからはじめる必要があります。
(中略)
「これはどうしましょうか」と相談された時は、部下自身にその対応策を考えられるかどうか見 極めて、「一度、自分なりの案を考えてみて」と要求してみるのです。上司がいつもそのように振 る舞えば、部下は上司の思いにそって、「提案型の相談」をするようになってきます。

(60)部下や後輩が指示待ちになっている理由として、AとBが共通して述べていることは何か。

(61)指示待ちになっている部下や後輩の対応のしかたについて、AとBはどのように述べているか。

主張理解
最近、日本ではテレビや書籍で脳科学者がブームになりました。脳科学が一般の人々の関心を強く惹いた最大の理由は、脳科学によって自分がよりよい人生を歩めそうだと感じるからではないでしょうか。
 科学は事物を客観的に扱う三人称的な学問です。そのため、何か冷たく、自分とは関係のないようなよそよそしさ(注1)を感じてしまいます。ところが、脳科学は人間の感情や思考や行動に関わる科学 です。そのため、科学としては初めてのことですが、まるで文学や芸術のように一人称(注2) 世界に踏 み込んできて、幸せな人生のノウハウを提供してくれているように思えるのです。
 しかし、せっかく関心を持っている人に水を差す(注3)つもりはないのですが、脳科学が今よりずっ と進歩したとしても、人間の心や私たちの人生について、すみずみまで解き明かせるようになるわけで はないと肝に銘じて(注4) おいた方がよいと思います。脳は複雑で、まだまだわからないことが多く、普通的な法則に到達するまでの道のりはきわめて遠いのです。そして、たとえ到達できたとしても、科学の普通法則は人生の個別性や一回(注55)に対しては全く無力です。ゆえに、人生の個別の事柄に適用して何かを予言したりすることは、おそらく不可能でしょう。
 もう一つ大切なのは、科学は事実を扱うことはできますが、価値観の問題を扱うことはできないということです。ですから、脳科学によってある事実が判明したとしても、それを価値観と混同してはいけません。たとえば、ある脳科学の本に、「こうすれば脳を活性化できるので、みなさんもやってみましょう」と書いてあったとします。ですが、脳の活性化は絶対的な価値でしょうか。極端な例で考えてみましょう。副作用の全くない薬物だったとしても、薬物で健康な人間(たとえば受験生)の脳を活性化することは許されるでしょうか。これが許されるかどうかは、論理や価値観に属する話です。価値観は個人と社会が決めるものです。そして、個人の価値と社会の価値も同じとは限りません。脳科学の知見(注6)は事実を記述したものであって、価値とは何の関係もないのです。
(中略)
 人類がどのような未来を選ぶかという問題も、結局のところ価値観の問題です。科学は、選んだ未 来を実現するための道具にはあり得ますが、未来を選ぶ価値観の問題を扱うことはできません。
(注1) よそよそしい 無関係である
(注2)一人称: 書き手が自分自身をさす
(注3) 水を差す: わきから邪魔をする
(注4) 肝に銘じる: 心に強くきざみつけて忘れない
(注5) 一回性 一回起こるだけ
(注6) 知見: 見解、見識

(62)筆者によると、人々は脳科学に何を期待しているか。

(63)脳科学について、筆者の考えに合うのはどれか。

(64)筆者が言いたいことは何か。

情報検索

(65)サイさんは、9月4日から7日までボランティア活動を行ったので、9月中に助成金を申請しようと考えている。 交通費と宿泊費を計算してメモにまとめたが、申請が認められた場合、サイさんに支給される助成金はいくらになるか。
サイさんのメモ
交通費: 12,000円 宿泊費 : 7,000円を3泊分

(66)ジムさんは、1月10日に日帰りでボランティア活動を行う予定である。助成金を申請したいと考えているが、活動終了後に必ず提出しなければならないものは何で、いつまでに提出しなければならないか。