短文
(1)
 男の腕時計はだいたい大きい。というより女の腕時計が極端に小さい。最近のはそうでもないが、戦前戦後のすべてが機械式だった時代には、婦人用時計というと極端に小さかった。もともと女性は男性より体が小さいものだが、その体積比を超えてなおぐっと小さかった。そんなに小さくしなくても、と思うほどで、指輪仕立てにした時計もあった。
 あの時代は機械は大きくなるもの、という常識が強かったから、小さな時計はそれだけで高級というイメージがあった。女性の時計は機能というより宝飾アクセサリーの面が強いから、よけいにそうなったのだろう。

(赤瀬川原平『赤瀬川原平のライカもいいけど時計がほしい』 シーズ・ファクトリーによる)

(46)腕時計について、本文の内容に合っているものはどれか。

短文
(2)
 美食の楽しみで、一番必要なものは、実はお金ではなく、これがおいしい、と思える「舌」である。これは金だけで買えるものではない。自分が歩んできた人生によって培われるもので、お金ももちろんそれなりにかかっているかもしれないが、億万長者

である必要もない。この「舌」っまり味覚は、万人に共通する基準もなく、絶対的なものでもない。

(金美齢『九十歳 美しく生きる』ワックによる)


(注)億万長者:大金持ち

(47)筆者の考えに合うのはどれか。

短文
(3)
 イタリアは、日本と同じ火山国ですから温泉はいっぱいあるけれど、その素晴らしい大浴場へは、全員が水着で入らなくてはなりません。(中略)だから彼らが日本に来ても、人前で裸になるくらいなら温泉などあきらめてしまいかねないのです。その彼らに日本の素晴らしい温泉、大浴場、山間の岩場の温泉を楽しんでもらうために、私はこうしたらどうかと思うんですね。
 つまり、三十分予約制にするのです。彼らは日本のように男女別にしても、他の人たちがいると落ち着かない。だから三十分だけは彼らだけの専用とする。家族や恋人に対してならば、裸でも抵抗感がなくなるから。

(塩野七生『逆襲される文明 日本人へ IV』文藝春秋による)

(48)筆者によると、イタリア人に日本の温泉を楽しんでもらうために、どうすればいいか。

短文
(注) 敵わない: ここでは、できない、難しい

(49)筆者によると、歳を取ってからやるべきことは何か。

中文
(1)
 「垂直思考」は、一つの問題を徹底的に深く掘り下げて考えてゆく能力です。ある事象に対して考察を深めて一定の理解が得られたら、「その先に潜む原理は」と一層深い段階を問うてゆきます。ステップを踏んで段階的に進んでゆく論理的な思考、これが垂直思考です。ここでは奥へくさび 奥へと視点を移動させるプロセスが存在します。一つの理解を楔(注1)として、そこを新たな視点として、さらにその先を見通すようにして、思索の射程距離を一歩一歩伸ばしてゆくわけです。
 「水平思考」もやはり視点が動きますが、垂直思考とは異なり、論理的な展開はそれほど重視されません。むしろ、同じ現象を様々な角度から眺めたり、別々の問題に共通項を見出したり、手持ちの手段を発展的に応用する能力が重要です。垂直思考が緻密な「詰め将棋」だとすれ ば、水平思考は自由で大胆な発想によって問題解決を図る「謎解き探偵」です。ここでは、一見難しそうな問題に対して見方を変えることで再解釈する「柔軟性」や、過去に得た経験を自在に転用する「機転」が問われます。つまり、推理力や応用力や創造力を生み出す「発想力」が水平思考です。

(池谷裕二『メンタルローテーション“回転脳”をつくる』扶桑社による)


(注1)楔:物を割ったり、物同士が離れないように圧迫したりするために使う、V字形の木片
(注2) 詰め将棋: 将棋のルールを用いたパズル

(50)垂直思考とはどのような考え方か。

(51)水平思考によって問題を解決しているのはどれか。

(52)「垂直思考」と「水平思考」に共通することは何か。

中文
(2)
 ファンタジーはどうして、一般に①評判が悪いのだろう。それはアメリカの図書館員も言ったように、現実からの逃避(注1)として考えられるからであろう。あるいは、小・中学校の教師のなかには、子どもがファンタジー(注2)好きになると、科学的な思考法ができなくなるとか、現実と空想がごっちゃ(注3)になってしまうのではないかと心配する人もある。しかし、実際はそうではない。子どもたちはファンタジーと現実の差をよく知っている。たとえば、子どもたちがウルトラマン(注4)に感激して、どれほどその真似をするにしても、実際に空を飛ぼうとして死傷したなどということは聞いたことがない。ファンタジーの中で動物が話すのを別に不思議がりはしない子どもたちが、実際に動物が人間の言葉を話すことを期待することがあるだろうか。②子どもたちは非常によく知っている。彼らは現実とファンタジーを取り違えたりしない。それでは、子どもたちはどうして、ファンタジーをあれほど好むのだろう。それは現実からの逃避なのだろうか。
子どもたちがファンタジーを好むのは、それが彼らの心にぴったり来るからなのだ。あるいは、彼らの内的世界を表現している、と言ってもいいだろう。人間の内的世界においても、外的世界と同様に、戦いや破壊や救済などのドラマが生じているのである。それがファンタジーとして表現される。
(河合 雄『 河合隼雄と子どもの目 <うさぎ穴>からの発信』創元社による)
(注1)逃避:避けて逃げること
(注2) ファンタジー: 現実の世界ではない空想の世界
(注3) ごっちゃになる:一緒にまじりあって区別がつかなくなる
(注4) ウルトラマン: 1960年代に日本のテレビで放送された特撮番組のヒーロー

(53)一般的に、ファンタジーが①評判が悪いのはなぜか。

(54)②子どもたちは非常によく知っているとあるが、何を知っているのか。

(55)ファンタジーが子どもたちに好まれているのはなぜか。

中文
(3)
 ①ある人が社会人になって営業職についたのだが、発注する数を間違うというミスを連発してしまった。書類作成などでは大変高い能力を発揮する社員だったので、上司は「キミみたいな人がどうしてこんな単純なミスをするのか」と首をひねった。社員は「気をつけます」と謝ったが、その後もまた同じミスを繰り返す。
 あるとき上司は、「キミのミスは、クライアント(注1)と直接、会って注文を受けたときに限って起きている。メールのやり取りでの発注では起きていない。もしかすると聴力に問題があるのではないか」と気づき、耳鼻科を受診するように勧めた。その言葉に従って大学病院の耳鼻科を受診してみると、はたして特殊な音域(注2)に限定された聴力障害があり、低い声の人との会話は正確に聴き取れていないことがわかったのだ。
 耳鼻科の医師は「この聴力障害は子どもの頃からあったものと考えられますね」と言ったが、②本人も今までそれに気づかずに来た。もちろん小学校の頃から健康診断で聴力検査は受けてきたのだが、検査員がスイッチを押すタイミングを見て「聴こえました」と答えてきた。また、授業や日常会話ではそれほど不自由も感じなかった、という。だいたいの雰囲気で話を合わせることもでき、学生時代は少しくらいアバウト(注3)な会話になったとしても、誰も気にしなかったのだろう。

(香山リカ 『「発達障害」と言いたがる人たち』 SBクリエイティブによる)


(注1) クライアント: ここでは、取引先
(注2)音域: 音の高さの範囲
(注3) アバウトな: いい加減な、おおざっぱな

(56)筆者によると、①ある人とはどのような人か。

(57)上司が部下に対してとった行動はどれか。

(58)②本人も今までそれに気づかずに来たとあるが、なぜか。

長文
 ①文章の本質は「ウソ」です。ウソという表現にびっくりした人は、それを演出という言葉に置きかえてみてください。
 いずれにしてもすべての文章は、それが文章の形になった瞬間に何らかの創作が含まれます。良い悪いではありません。好むと好まざるとにかかわらず、文章を書くという行為はそうした性質をもっています。
 ②動物園に遊びに行った感想を求められたとしましょう。「どんな様子だったのか話して」と頼まれたなら、おそらくたいていの子は何の苦もなく感想を述べることができるはずです。ところが、「様子を文章に書いて」というと、途端に多くの子が困ってしまう。それはなぜか。同じ内容を同じ言葉で伝えるとしても、話し言葉と書き言葉は質が異なるからです。
 巨大なゾウを見て、思わず「大きい」と口走ったとします。このように反射的に発せられた話し言葉は、まじり気のない(注1)素の言葉です。しかし、それを文字で表現しようとした瞬間、言葉は思考のフィルター(注2)をくぐり(注3)ぬけて変質していきます。
 「『大きい』より『でかい』のほうがふさわしいのではないか」
 「『大きい!』というように、感嘆符(注4)をつけたらどうだろう」
 「カバが隣にいたとあえてウソをついて、『カバの二倍はあった』と表現すれば伝わるかもしれない」
 人は自分の見聞きした事柄や考えを文字に起こすプロセスで、言葉を選択したり何らかの修飾を考えます。言葉の選択や修飾は演出そのもの。そうした積み重ねが文章になるのだから、原理的に「文章にはウソや演出が含まれる。あるいは隠されている」といえます。
 ある文章術の本に、③「見たもの、感じたものを、ありのままに自然体で書けばいい」というアドバイスが載っていました。「ありのままに」といわれると、何だか気楽に取り組めるような気がします。
 しかし、このアドバイスが実際に文章に悩む人の役に立つことはないでしょう。
 ありのままに描写した文章など存在しないのに、それを追い求めるのは無茶な話です。文章の本質は創作であり、その本質から目を背けて耳に心地よいアドバイスに飛びついても、文章はうまくはならない。

(藤原智美『文は一行目から書かなくていい 検索、コピペ時代の文章術』プレジデント社による)


(注1) まじり気のない: 何もまざっていない、純粋な
(注2) フィルター:不純物を取り除く装置
(注3) くぐり抜ける:くぐって通り抜ける
(注4) 感嘆符:感動・興奮・強調・驚きなどの感情を表す「!」の符号

(59)①文章の本質は「ウソ」ですですとあるが、それについて筆者はどのように述べているか。

(60)②動物園に遊びに行った感想を求められた多くの子供の反応はどれか。

(61)③「見たもの、感じたものを、ありのままに自然体で書けばいい」というアドバイスについて、筆者はどのように考えているか。

(62)この文章で筆者の考えに合うのはどれか。

統合理解
A
 男性の育児休暇の取得義務化について、私は慎重派です。日本の大半の夫婦は男性が主な稼ぎ手のため、育休(注1)を義務付けたら収入が減り、将来につながる重要な仕事のチャンスを失う恐れがあると思います。義務化するのではなく、男性の育児参加を増やすために、短時間勤務や残業免除などの制度を利用しやすくするほうが現実的なのではないでしょうか。育児 験は仕事にも役立ち、人生をより豊かにしてくれるという、育児の意外な効用もあると思います。まずは、社会、企業の意識改革必要であると考えます。
B
 私は、男性の育児休暇義務化には、よい面と悪い面のどちらもあると思います。産まれたばかりの新生児(注2)という貴重な期間に、夫婦そろって赤ん坊と過ごせるのは幸せなことですし、その後の父子関係や家族のあり方によい影響を与えてくれると思います。また、育児に積極的に関わり、家族の健康維持や効率のよい家事育児の仕方について考えることによって、ビジネススキル(注3)を磨くことにもつながると思います。ただ、家事育児への意識と能力が高い人であればいいのですが、お昼になったら平気で「ごはんは?」と言ってくるタイプの夫の場合は、仕事に行って稼いでくれたほうがましかもしれません。それに、出産前後だけ休暇を取ってもあまり意味はないかな、とも思います。義務化するより、普段から継続的に家事や育児ができる体制にしたほうがよっぽど意味があるのではないでしょうか。
(注1) 育休:育児休暇のこと
(注2) 新生児: 生まれたばかりの赤ちゃん
(注3) ビジネススキル: ビジネスにおいて必要な能力

(63)男性の育児休暇義務化の良い点について、AとBはどのように述べているか。

(64)育児休暇について、AとBで共通して提案していることは何か。

主張理解
 ①かつての遊びにおいては、子どもたちは一日に何度も息を切らし汗をかいた。自分の身体の全エネルギーを使い果たす毎日の過ごし方が、子どもの心身にとっては、測りがたい重大な意味を持っている。
 この二十年ほどで、子どもの遊びの世界、②特に男の子の遊びは激変した。外遊びが、極端に減ったのである。一日のうちで息を切らしたり、汗をかいたりすることが全くない過ごし方をする子どもが圧倒的に増えた。子ども同士が集まって野球をしたりすることも少なくなり、遊びの中心は室内でのテレビゲームに完全に移行した。身体文化という視座(注1)から見たときに、男の子のこの遊びの変化は、看過(注2)できない重大な意味を持っている。
 相撲やチャンバラ(注3)遊びや鬼ごっこ(注4)といったものは、室町時代や江戸時代から連線(注5)として続いてきた遊びである。明治維新や敗戦、昭和の高度経済成長といった生活様式の激変にもかかわらず、子どもの世界では、数百年以上続いてきた伝統的な遊びが日常の遊びとして維持されてきたのである。
 しかし、それが1980年代のテレビゲームの普及により、絶滅状態にまで追い込まれている。これは単なる流行の問題ではない。意識的に臨まなければ(注6)取り返すことの難しい身体文化の喪失である。かつての遊びは、身体の中心感覚を鍛え、他者とのコミュニケーション力を鍛える機能を果たしていた。これらはひっくる(注7)めて自己形成のプロセスである。
 コミュニケーションの基本は、身体と身体の触れ合いである。そこから他者に対する信頼感や距離感といったものを学んでいく。たとえば、相撲を何度も何度も取れば、他人の体と自分の体の触れ合う感覚が蓄積されていく。他者と肌を触れ合わすことが苦にならなくなるということは、他者への基本的信頼が増したということである。これが大人になってからの通常のコミュニケーシコン力の基礎、土台となる。自己と他者に対する信頼感を、かつての遊びは育てる機能を担っていたのである。
 この身体を使った遊びの衰退に関しては、伝統工芸の保存といったものとは区別して考えられる必要がある。身体全体を使ったかつての遊びは、日常の大半を占めていた活動であり、なおかつ自己形成に大きく関わっていた問題だからである。歌舞伎や伝統工芸といったものは、もち
ろん保存継承がされるべきものである。しかし、現在、より重要なのは、自己形成に関わっていた日常的な身体文化のものの価値である。

(土居健郎・齋藤孝『「甘え」と日本人』 KADOKAWAによる)


(注1)視座:視点
(注2) 看過できない: 見過ごせない
(注3) チャンバラ遊び: 枝や傘を刀に見立てて斬り合うふりをする遊び
(注4) 鬼ごっこ : 一人が鬼になって他の者たちを追い回し、捕まった者が次の鬼になる遊び
(注5) 連綿:途絶えずに長く続くようす
(注6) 臨む:立ち向かう
(注7) ひっくるめる: ひとつにまとめる

(65)①かつての遊びとはどのような遊びか。

(66)②特に男の子の遊びは激変したとあるが、どのように変化したか。

(67)かつての遊びの機能として筆者が述べているのはどれか。

(68)筆者が最も伝えたいことは何か。

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(69)マリさんは、日本語と英語を活かした仕事がしたい。日本語と英語は上級レベルである。今までアルバイトをした経験はない。土日勤務はなるべく避けたい。マリさんに合うアルバイトはどれか。

(70)イさんは、日本のデパートで働いた経験がある。日本語は上級レベル、英語は中級レベルである。将来正社員になることを目指して長期的に働きたい。できれば残業はしたくない。イさんに合うアルバイトはどれか。