テーマ (研究の主題)を決めることは、すべての学問研究の出発点になります。現代史も変わるところはありません。まずテーマを「決める」という研究者自身の①主体的な選択がなによりも大切です。当然のように思われるかもしれませんが、実際には、他律的(注)または受動的に決められることが稀ではないのです。
 現代史研究では、他のすべての学問と同じく、あるいはそれ以上に、精神の集中と持続とが求められますが、この要求を満たすためには、テーマが熟慮の末に自分自身の責任で(研究が失敗に終わるリスクを覚悟することを含めて) 決定されなければなりません。(中略)
 ②テーマを決めないで研究に着手することは、行先を決めないで旅にでるのと同じです。あてのないぶらり旅も気分転換になりますから、無意味とはいえません。新しい自己発見の機会となることがありますし、素晴らしい出会いがあるかもしれません。旅行社お手盛り(注2)のパック旅行よりも、ひとり旅のほうが充実感を味わえると考えるひとは多いでしょう。テーマを決めないで文献や史料をよみあさることも、あながち無駄とはいえない知的散策です。たまたまよんだ史料が、面白いテーマを発見する機縁(注3)となる幸運もありえます。ひとりの史料探検のほうがパック旅行まがいの「共同研究」よりも実りが多い、といえるかもしれません。(中略)
 けれども一般的に、歴史研究にとって、テーマの決定は不可欠の前提です。テーマを決めないままの史料探索は、これぞというテーマを発見する過程だからこそ意味があるのです。テーマとは、歴史家がいかなる問題を解くために過去の一定の出来事を研究するか、という研究課題の設定です。(中略)
 歴史は暗記物で知的創造とは無縁の、過去の出来事を記憶し整理する作業にすぎないという、歴史と編年史とを同一視する見方からしますと、③この意味でのテーマの選択とか課題の設定とかは、さして重要でない、むしろ仕事の邪魔になるとさえいうことができます。歴史についてのこのような偏見はいまも根強く残っていますので繰り返すのですが、歴史も新たに提起された問題(事実ではなく問題)を一定の方法で解きほぐすことを目指す創造的かつ想像的な営みであることは、他の学問と違うところはありません。テーマの選択とは、いかなる過去の出来事を研究するかではなく、過去の出来事を、なにを目的として、あるいはどんな問題を解明しようとして研究するか、という問題の設定を指示する行為にほかなりません。

(渓内謙『現代史を学ぶ』岩波書店による)


(注1)他律:自分の意志ではなく、他人の意志や命令によって行動すること
(注2) お手盛り: ここでは、旅行社の都合のよいように決められた
(注3) 機縁:きっかけ

1。 (65)①主体的な選択がなによりも大切ですとあるが、理由は何か。

2。 (66) ②テーマを決めないで研究に着手することについて筆者の考えに合うのはどれか。

3。 (67)③この意味とは何を指すか。

4。 (68)この文章で筆者が最も言いたいことは何か。