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生活者に、「〇〇と言えば、自社の商品」という形で自社商品を第1に想起(注1)させるには、商品は広告の中心に置かれていなければならない。しかしいつの間にか、商品を中心に置くということが広告をする上でないがしろにされてきている。どの企業からも似たような商品しか出てこなくなり、商品のコモディティ化(注2)が進んできてしまったため、商品の差別化を、イメージだけでなんとか乗り切ろうとしている。テレビCMでもウェブ動画でも、商品の存在は最後の最後まで消し去られ、ちょっとおもしろい、ちょっと楽しい、ちょっと感動するような話が繰り広げられ、最後のほんの一瞬に商品が紹介されて終わる広告だ。これらはたいがい、最後に登場する商品が仮に他社の商品でもなんとなく成立してしまう。広告はおもしろくてちょっと話題になるかもしれないが、話題の中心は広告であり、商品は忘れ去られている。なんの商品広告だったかも覚えられていない。
この様な、イメージによって差別化を図る最近の形として挙げられるのが、この数年、世界の広告賞でも取り上げられている「ソーシャルグッド」と呼ばれる種類の広告だろう。社会的な問題、たとえば国家対立や貧困、ジェンダー論といった世界の誰もが抱えている、もしくは理解できる問題を提起し、決してその問題を根本的に解決するわけではないが、生活者に考えるきっかけを与えたり、はっと気づかせたりする広告だ。「作品」として素晴らしいものばかりで、多くの気づきを与えてくれる。ただしこれらの広告により、どこまで生活者の態度変容を引き起こすことができたのかは疑問である。
確かに素晴らしい気づきを与えてくれて、この様なメッセージを発信する商品は良いブランドだと感じる。ただし「良いブランド」止まりであり、これだけでは自分の生活を良くするのに必要な存在にはなれない。かつ、この様な尊いメッセージを発信するばかりに、かえって近寄り難い存在になることもある。
(中略)
大切なのは広告で社会奉仕をすることでも、良いイメージを与えることでもなく、商品を生活者にとって必要な存在にすることである。商品を生活上役に立つ存在だと認識してもらい、買うに値する理由を明確にすることだ。商品は、この世で必要だと思ってくれる人がいるから存在することができる。だからこそ明確な購買理由を提案していくのだ。
(注1)想起する:思い起こす
(注2)コモディティ化:一般化