以下は、ある日本の美術館の館長が書いた文章である。
美術館は芸術作品を楽しむ場所だ。しかし、予備知識なしに無心で楽しめるエンターテインメントと違って、アートを楽しむには特別な知識がいると①思っている人は多い。私はそうした考え方は大きな誤解だと思っている。
しかし、そう考える人の気持ちがわからないではない。なぜなら、この国では子どもの頃からアートに親しむ環境が整っていないからだ。美術館では子どもはうるさくて邪魔な存在だとされている。美術館に来る資格があるのは分別のある大人だけだ――そう思われたら、(注1)敷居が高くなるのは仕方がない。しかし、その逆に、子どもの頃から美術館に何度も足を運び、なじみのある場所になっていれば、芸術作品との距離はもっと近づくだろう。
では、子どもたちに美術館を楽しんでもらうにはどうすればいいのだろうか。
(中略)
私がよくやるのは②「宝探し」だ。もともとはシカゴ美術館にいたときに同僚が実践しているのを見て面白いと思い、日本の美術館に来てからも実践している。
「宝探し」のルールは簡単だ。
子どもたちに美術館で販売されているポストカード(注2)を渡して、展示されているその作品を探すように言う。すると、彼らは絵を一生懸命見て、ポストカードに印刷されている絵を探す。
作品を見つけ出したら、そのポストカードに感想を書いてもらう。どんなことを書いてもいい。感想が思い浮かばなければ、その絵の中に何が描かれているかということでいい。「見た」ものを書いてもらうだけでいいのだ。とにかく、作品を「見る」きっかけを作ることが目的である。
大人はともすれば絵を頭で理解しようとする。この絵は印象派(注3)の巨匠○○(注4)が描いた絵だからすばらしい、というように、知識と実物を一致させるだけで満足してしまう。しかし、そんな見方が果たして本当に作品を「見た」と言えるだろうか。
子どもたちは予備知識を持たずに絵を見る。そのときに「感動」しなくてもかまわない。一生懸命に「見る」だけでいいのだ。一枚の絵を一生懸命に見たという体験だけで、美術館に来た価値は十分にある。
美術館のすばらしいところは「本物」をその目で見られることだ。子どもたちは手にしたポストカードと作品を見比べて「色が違う」と気づくかもしれない。それだけでも立派な「発見」だ。本物と印刷物は違うのだということがわかるだけでも、実物を見た甲斐かいがある。
私は、教育とは、自分の感性で感じ、自分の頭で考えられるよう、感性と知性を鍛えることだと思っている。問いに対する答えを教えるのだけが教育ではないはずだ。そして、美術館は、うまく使えば、感性を鍛えるすばらしい学校になりうる場所だ。なぜなら、美術館は「答えがたくさんある」ことを教えるのに最適な場だからだ。
一人ひとり見る「目」も違えば、その作品を感じる「心」も、そこから考える「頭」も違う。答えは決して一つではないのだ。
(注1) 敷居が高い:近づきにくい
(注2) ポストカード:ここでは、芸術作品が印刷されたはがき
(注3) 印象派:ここでは、絵画の流派の一つ
(注4) 巨匠○○:○○という名前の巨匠