以下は、コンピューターによる将棋が出現したことに対して書かれた文章である。
人間同士の将棋、勝負というのは、ただ盤(注1)上で能力を発揮し合うだけのものではありません。必ずそこに至るまでのプロセスがあります。強い相手と戦うことになってプレッシャーを受けたり、「ああ、厳しい相手だなあ」と萎縮してしまって勉強の意欲が減ったりすることだってあります。でも、「それじゃダメだ」と自分の心と戦ったり、整理をつけたりして最終的に対局(注2)当日を迎える。もちろん盤上の戦いもすごく大変なのですが、必ず事前にそういうステップを踏んでいます。
人間の強さというのは、他人との戦いはもちろんですが、自分自身との戦いによっても生まれ、育っていくものなのです。
それに、人間は疲れも感じるし、集中力も永遠には続きません。判断ミスだって何度もします。
しかし、そんなちっぽけな一人の人間が焦りや苦しさを乗り越えて、観ている側が感動したり、あっと驚くような勝負をしたりする。それこそが人間の将棋の醍醐味だと思うのです。
(中略)
よく言われることですが、コンピューターに悩みやプレッシャーはありません。いくらコンピューターが強くても、先ほど述べたような人間的なプロセスを乗り越えてきているわけではない。
強いコンピューターというのは、開発者のプログラミング(注3)能力、また人間的な意味で言えば開発に懸ける情熱とか、そういうものが評価されています。ただそれは、人間の将棋の強さとは別の軸にあるものだと思うのです。
その相容れない(注4)まったく別物の強さを競わせたのが、棋士(注5)対コンピューター戦です。その結果、コンピューターのほうが強かったとしても、人間の強さが魅力や意味を失うわけではないでしょう。
もちろん、棋士がコンピューターに負けたら、ファンの方がガッカリする気持ちもわかります。いままで人間同士の素晴らしい戦いを観てきて、最強棋士きしのすごさを体感してきました。そういう中でソフトという新しい存在が出てきてそれに負かされたら、人間は感情の生き物である以上、落胆するのも当然だと思うのです。
いままで自分が興奮や感動してきたものは何だったのだ、と。
ただ実は、人間とコンピューターの強さというのは秤にかけるものではなくて、それぞれが固有の良さを持っているものだと思うのです。
人間対人間、人間対コンピューター、コンピューター対コンピューター。大きく分ければこの三つになると思いますが、これらはそれぞれに独立した魅力があって、お互いを阻害するものではありません。そこを分けて考えることが大事なのではないでしょうか。
この三つのコンテンツ(注6)を徹底的に味わい尽くしたうえで、コンピューター対コンピューターの対戦が一番面白いと思えば、人間の強さに魅力を感じなくなっても仕方がないとは思います。でもきちんと比較もせずに、なんとなく時代の流れやちょっとしたインパクトだけで、人間対人間の面白さの魅力が薄らいだと思うのはすごくもったいない。
(注1) 盤:ここでは、将棋をする台
(注2) 対局:ここでは、勝負
(注3) プログラミング:コンピューターのプログラムを作ること
(注4) 相容あいいれない:ここでは、性質が異なる
(注5) 棋士:職業として将棋をする人
(注6) コンテンツ:ここでは、対戦の内容

1。 (62)人間同士の将棋の魅力について、筆者はどのように考えているか。

2。 (63)コンピューターによる将棋について、筆者はどのように述べているか。

3。 (64)筆者の考えに合うのはどれか。