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(前略)花々は、「自分の子孫を残したい」との願いを込めて、他種の花と、仲間の花と、昆虫たちを誘い出せる魅力を競い合っている。
あるものは、寄ってきてくれた虫をうまく利用できるように、虫にばかりつきやすいねばり気のある花粉を用意する。入ってきた虫に花粉がつきやすいように、虫たちの目的である蜜は奥にしまい込む構造をした花もある。
甘い香りは、昆虫たちを誘う。「旅路の果てでついてくる」と歌われるクチナシの花の香りは、①
その代表的なものなのである。キンモクセイも、印象深い秋の香りを発散させる。ゲッカビジンも、甘い芳香を真夜中に漂わせる。
しかし、これらの花々でも、つぼみのときには、香りがない。つぼみには、青臭い青葉の香りがするものが多い。つぼみが開きはじめると、一気に、心地よい花の香りが発散してくる。なぜ短時間に、急に、香りが漂いはじめるのだろう。
まず思い浮かぶのは、「つぼみのときに、すでに香りがある」可能性である。「花びらが閉じているので、香りも閉じこめられた状態となり、外へ出てこないのではなかろうか」と考えられる。もしそうなら、つぼみの花びらをほぐしていけば、中から香りが漂ってくるはずである。しかし、②
どんなにていねいにつぼみを開いても、香りは出てこない。
「閉じたつぼみの中に香りがないのなら、つぼみが開くにつれてつくられている可能性だ」が考えられる。しかし、香りの成分は、何段階もの反応でつくられる複雑な構造の物質が多く、そんな短時間でつくれるようなものではない。
ほとんどは、香りになる直前の物質がつぼみに作られているのである。ところが、これは発散しないように、余分な構造物がくっついている。香りとして発散しないように③
重りがついている状態を想像すればよい。香りとなるには、余分な構造物がそれればよい。①つぼみが開くにつれて、重りが切り離され、香りは発散し漂っていく。
それなら「開きつつある花は、重りを切るのをどうしているのか」という疑問が思い浮かぶ。この通りである。たとえば、ジャスミンの一種やクチナシのつぼみをつぶした液に、開いた花から香りを除いた液を混ぜれば、香りが発散する。つぼみには香りになる直前の物質、開きつつある花にはそれを香りとして発散させる物質が存在しているのだ。
風や昆虫などを利用するため、このようなさまざまな工夫やしくみが生みだされる。
には、同じ種類の花は同じ時期に開いていなければならない。花粉を風で飛ばしても虫に運ばせても、同じ時期に、それを受け取る仲間の花が開いていないことを想像すれば、この意義はよくわかる。さまざまの工夫をしくふくが、まったく無駄になるだろう。
(田中修『つばみたちの生涯』中央新書による)